修復記録と情報の公開 -図書資料を中心として- ①
弊社代表が過去に講演した内容を抜粋して掲載いたします。
見えない(顕在化されていない)情報とは
資料が内包する情報を残すのが資料保存の役割ですが、図書館や文書館の場合では情報といえばまずテキスト情報です。またそれを構成する素材-例えば紙、それを刷った印刷機材、インクなどーや構造、装飾(これらは時代・地域によってバリエーションがあります)など、モノ自体が持つ情報、それから来歴の過程でそこに付加されてきた情報などが考えられます。漱石の初版本は貴重で高価なものですが、それなりの数が存在しています。しかし、漱石が書き込みをしたものや、後世の著名作家の手沢本に書き込みなどが存在すればその本の価値は、単なる初版本とは区別する必要があります。例えば資料中の書き込みをどう処理するかはこのような価値判断を伴う訳ですが、非常に難しい問題です。この出所・由来というものも、中世写本や初期印刷本では重要な情報として扱われています。
また時代とともにモノが持つ情報の価値が変化することもあります。それが作成されたときには、さして価値があるものではなかったが、時代を経て状況が変化すると貴重になるというような例です。江戸中期以降、狩野派の絵師たちにより様々な古典画の模写や模本づくりが行われました。自らの技術向上のため、あるいは伝統的な構図や画題の把握のためと理由は色々あるかもしれませんが、狩野晴川院養信などは生涯に150本近くの絵巻を模写しています。現存するそれらの模写の中には、幕末以降の幾度もの天災、戦災などで原本が失われたものが数多くあります。今日では、養信の模写は原本の姿を想像する重要な資料となっています。複製-代替物-などが、原本の消失により制作意図を越えてそのものが持つ情報の価値が増すという例の一つです。
それから、構成される物質や構造、付加された装飾が持つ情報。ヨーロッパの中世の写本、ロマネスク以前のものの多くが、18世紀頃に近世の製本技術で作り直されており、昔の形を残しているものはごく僅かです。特にカロリング朝写本の多く、8~9世紀の写本は存在そのものが稀な上、昔の姿を残しているものはほとんどありません。それは近世のヨーロッパの製本文化とは、構造も素材もかなり異なる本の文化の存在のもとに成立していました。そのような写本文化を研究する上で、素材が残っていれば、構造が残っていれば、現存する資料と資料との関係、写本と写本との関係を追求する有効な手段になります。これは従来コディコロジー(写本学)といわれる、テイストの流れを遡り、その関係を追求する学問として発展してきたのですが、そこに近代科学の分析技術の利用が可能になると、かつてはあまり意味を持たなかった古びた素材が重要な情報源となりうるわけです。ヨーロッパ中世の表紙には木の板が芯材として使われていました。昔は単なる汚れた板切れでしかなかったものが、木材の調査の技術が発達してきたことで、そこから色々な情報を得ることが出来るようになった。その写本が何時、何処で製本されたかという事を推定する情報の一部が分かるような時代になってきている。18世紀に、もし新しいモロッコ革と金箔押しで金ぴかに製本せず、昔の姿のままであったら、あるいは昔の材料をとっておいていたら、ずいぶんと今の研究は進んだであろうと多くの人が考えています。これは日本の様々な資料でも同じです。修理すれば失われる情報が必ずそこにあるという事です。
もう一つは、伝世によって生じる情報です。静岡県立図書館に葵文庫という、旧幕府所蔵の洋書を一括して収めている文庫があります。その中に、J.コバーンとモルチェが18世紀半ばに出版した世界地図帳があり、これは単に稀覯書で高価という事だけではありません。長崎でオランダ通詞を務め、蘭書の翻訳に活躍した本木良永(1735~1794)がこの地図帳を『阿蘭陀全世界地図書訳』として1790年に翻訳出版しています。葵文庫のこの本がまさに彼が翻訳に使用したもので、紺紙に銀泥で地名を書いた付箋がたくさん貼られています。同一の本は世界中に複数存在するわけですが、この付箋が来歴の中で付加された情報として資料の価値が倍増させています。
さらにちょっと見えにくい情報の例があります。江戸の舶載蘭書の悉皆調査をされている松田清京都大学名誉教授(現京都外国語大学教授)から非常に傷んでいる資料なので閲覧に立ち会ってもらいたいというお話がありました。この資料は2巻本で、1巻目は割りと状態は良いが、2巻目は大きな損傷を受けていました。一般に複数巻の書物は、今も昔も大体1巻目が傷み、1巻目の表紙側が一番壊れやすいというのが常識なのですが、これは2巻目が特に傷んでいる。それは松田先生いわく「2巻目には日本地図が入っているから」とのことでした。それは、幕府の蕃書調所か開成所かに所蔵されていたときに、当時の人々が事あるごとにその地図をひっくり返して見たために傷んだと思われます。確かにその部分が特に汚れているのと、綴じの損傷も激しいことが確認できました。「これをきれいに修理してしまうと、こうした事実が分からなくなってしまう。」これは情報の保存という点から考えれば重要なことといえます。しかし、これをどのように保存するのかはなかなか難しい。壊れたまま置いておけばよいかといえば、閲覧できない訳で、資料としての価値がなくなってしまいます。
資料保存に携わる者の理念としての原則は、第一に原形、あるいは現状を尊重しなければならない。第二に処置は可逆的、あるいは非破壊的な処置でなくてはならない。第三に記録化です。記録化の内容には二種類あります。現状の記録化と処置の記録化です。後者の修復記録とは、どういう素材を使って何処をどう直したか、これらが判明していると、将来何十年、何百年後に再修復が必要になったとき、次に修復する人間にとっては、安全に効率的に処置を行うことができます。
現状記録とは修復前の資料の状態記録の作成です。これは修復によって失われる恐れのある情報を記録によって残さなければならないことです。葵文庫の世界地図に関していえば、2巻目の傷みが激しいことが分かる情報を残す必要があるということです。
しかし、現状記録には大きな問題があります。対象となる情報が、文字で書かれているような一見して誰にでも読み取れるものではないということです。つまり、顕在化されていない記録は、記録作成者の意図、能力を超えて情報を残すことができません。どのような画像情報であれ、代替物は現物の持つ情報のごく一部しか残すことはできません。また、それを撮影したり、テキストにより記録した人間の意図が介在していることをいつも意識しておかなければなりません。これも資料保存における現物・現状尊重主義の要因になっています。現状の記録化の理想は、できるだけ多くの人間が参加することが必要です。多くの視点から光を当てることにより、顕在化していない情報に関してより多くの予測をしながらドキュメンテーションを行うことができます。
『文化財情報学研究 創刊号』吉備国際大学文化財総合研究センター(2004.3)