2.26事件で叛乱軍から明治天皇紀資料を護った宮内省職員

 実験用資料として購入した古新聞(東京日日新聞 昭和11年4月1日)に興味深い記事がありましたのでご紹介したいと思います。

2.26事件感激篇
最危険の中心点で尊い書庫を死守
御紀編纂所に籠城

 2.26事件勃発と共に交通遮断区域となり、しかも最も危険視された真只中におかれたのが麹町区永田町二丁目の「公刊明治天皇御紀編修委員会」編纂所であったが、事件から丁度一ヶ月余を経た今日、当時叛乱軍の重囲の中にあったこの編纂所に最後まで踏み止まり、御紀編纂に関する貴重書類の書庫二棟を死守した委員会職員、宮内省秘書課属官福島元治郎氏(49)外七氏がよくその職責を全うした立派な行為が始めて明らかにされ、宮内省当局は勿論、御紀編纂長三上参次博士その他から感謝と感激の心を贈られている。

 以下、記事の要約
 2月28日朝に戒厳司令部より「至急立ち退れたし」との命令が来たが、福島氏他7名は編纂所に残った。この8名はありとあらゆる重要書類の整理を行い、それらをコンクリート二階建て15坪の大書庫と平屋5坪の小書庫に納めた。さらに、非常の場合に用意されていた「めぬり土」(めぬり・・・火災のときに火が入らないよう、土蔵の戸前を塗りふさぐこと。)の入った瓶4個を運び出し、壁の付け根から鉄扉の合わせ目その他火を吸い込む危険のある個所を完全にめぬりした。

 危機最高潮の29日朝7時頃に憲兵がやって来て、「いよいよ危険となったから全員退去すること」と厳重な申し渡しに一同は閑院宮邸裏まで非難したが、福島氏だけは「私はここで死ねば本望です。」と頑として応じなかった。それから数時間後にようやく平穏が戻り、一同は無言のうちに二つの大書庫を仰ぎ見つつ感激の涙で頬を濡らし固い握手を交し合っていたという。後日、福島氏は「別に取り立てて申し上げることはないのです。唯「責任」を果たしたといえば足りると思います。」とコメントしている。

 資料を破壊するのも人。護り伝えるのも人なのだ。