Washed copy(洗浄本)

 慶應義塾大学名誉教授・高宮利行「余白の形態学」(藝文研究vol.51、1987年)を読むと「washed copy」という単語が出てきます。まとめると、18世紀末から19世紀初めにかけて、英国の有産貴族階級の間で貴重な古版本を収集することが流行し、汚れの少ない本を望む顧客の要望に応えて製本師は貴重書を「洗った」。洗浄本(washed copy)はフランスでより徹底的に行われたと言われ、その結果、余白の汚れとともに書き込みも洗い流された。

 というものなのですが、その一例として慶應義塾図書館が所蔵している1480年にウェストミンスターのウィリアム・キャクストン工房で印刷された『イングランド年代記』初版があたるらしいのです。慶應義塾大学メディアセンターデジタルコレクション(https://dcollections.lib.keio.ac.jp/ja/incunabula/006)によると、1813年にデヴォンシャー公爵の購入時に行われた再製本の前に洗浄もされたとのことです。公開されている数枚の画像からはよく分かりませんが、きれいすぎるかなといった印象です。

 『ABC FOR BOOK COLLECTORS』に記載されているwashed copyをあらわす「washed」の項目には、フランスでは本文紙だけでなく本全体を洗うということや、洗浄の具体的な方法として、効率的に行うために化学薬品を使用すると染み、書き込み、痕跡のようなものに加えてサイズ剤も洗い流すためにリサイジングまでも行ったようです。また、洗浄本か否かを判別する方法としては、薬品の使用等で臭いが残りやすいために本を開けて臭いをかぐと洗浄の疑いがあるのかが分かることもあるとのことです。

 修復作業のためにお預かりした貴重書の中には「異様にきれいだな」と思ったこともありましたが、証拠になる上記のような異変を確認したことは残念ながらありません。ただ、洗浄本とは異なりますが、本全体(革装本)が油に浸されたと思われる貴重書に出会ったことがありました。油臭はもちろん、放っておくとジワジワと間紙として挟んだ紙に油が染み出してくるような具合だったのですが、未だに何の目的でそのようなことを行ったのかは不明のままです。