紙資料の保存修復技術としての裏打ち・繕いについて
1.はじめに
裏打ちは表具技術、また紙を支持体とした資料の保存修復技術として行われてきた。今日では保存修復の専門家以外のボランティアや図書館スタッフの館内での保存修復処置で裏打ちが行われるような場合もあるというが、裏打ちにより本紙に何が起こっているのかを理解しているかについては少なからず不安がある。最近は安易な裏打ちによる弊害も言われているが、その功罪を問う前に裏打ちが紙にどのような影響を与えているかを知っておくことは大切なことと思う。
保存修復にかかわらず、何かしらの本紙への直接的な処置は必ず正・負両方向の結果を生じる。二つの方向は必ずしもどちらが良い・悪いと言うことではなく、何に価値を置いて保存するか?という視点により、良くも悪くもなる。それをしっかりとマネージメントすることが、 資料の保存においては重要なことではないだろうか。
2.裏打の過程で本紙に起こること
はじめに明確しておかなければならないのは、ここで取り上げている裏打ちは一紙文書や冊子体の書籍などの紙資料への適用を目的とするものである。当然ながら、絵画や書跡を軸装する表具の工程における裏打ちとは異なる部分がある。装潢技術の工程における裏打ちとは目的が異なるものであり、したがってその方法にも違いがある。またこの発表は、裏打の技術の優劣やその功罪について論議することが目的ではなく、裏打や水分を与えることにより本紙に起こる現象のいくつかを、出来るだけ簡単に示すことを心がけた。
【写真1】は本紙を裏打ちすることにより修理された版本である。【写真2】は一般的な版本を開いた状態である。本紙に使用されている楮紙は、多くの場合、密度の低い非常に柔らかい紙である。したがって【写真2】(【写真1】と同一のタイトルの別な巻。ほぼ同じ紙で出来ているが未修理)のように本紙が硬く突き立つようなことはない。裏打により資料の価値が損なわれたとは一概に言えないが、この書籍は修理したことにより、ふわりと柔らかな江戸の本の特長を失ってしまったことは確かだろう。
裏打ちを行えば一枚紙が足され糊も入るため、紙は当然厚くなり硬化もする。したがって紙が立ってしまうことも起きる。しかしそれ以外にも本紙には大きな変化が起こっている。それは表面の平滑化である。 【写真3】は【写真1】の資料の表面を拡大したものである。紙が非常に平滑になっており、和紙の表情、繊維密度のムラや板干しの際の撫であと、凸版の紙への食い込みなどが全く無くなり、あたかも現代の洋紙にオフセットで刷った複製本を見るようで、未修理の資料 【写真4】とは大きくかけ離れている。しかし、裏打ちもその方法によっては、ここまで極端に本紙の状態を変化させないことも可能である。資料の損傷/劣化の状態によっては、裏打ちは強化/保存の重要な技術として否定することは出来ない。裏打ちの後、仮張にかけずに自由乾燥(敷干)を行うと、紙の柔らかさや表面の風合、印刷の圧力のかかり具合などある程度残すことが可能である。版本や一紙文書等の場合は敷干で乾燥した後プレスによりフラットニングを行う。 【写真5】の上段の一冊はそのような例である。下段の2 冊(左は未修理、右は虫損部分のみ繕った)に比べてやや開きにくくなっているが、文鎮など使わなくても開く。表面状態もかなり残され ており、未修理の資料と並べても大きな違和感はない。
3.裏打ち等による本紙表面状態の変化
裏打ちなどによる処理条件を変えて行い、処理後の資料の表面状態と紙のやわらかさの変化を比較した。比較は目視と官能試験で行い、評価は*の数で現し未処理資料を10個として、数が減るほど変化が激しい。機械プレスは主に洋紙のフラットニング処理に使用される。一枚の紙をボードに挟んでプレスを行うと、紙に接しているボードの表面の状態がキャストされ、風合いが損なわれる可能性がある。それを避けるためには、複数の本紙と同様の紙を重ねてプレスするのが良いとされている。
処理内容 | 表面状態 | 紙の柔軟性 | 紙表面の平滑性 | |
A | 処理なし | ********** | ********** | ********** |
B | 裏打ち+仮張り | *** | **** | ** |
C | 裏打ち→敷干し | ****** | ***** | ****** |
D | 裏打ち→敷干し→仮張り | *** | **** | **** |
E | 機械プレス(本紙10枚を重ねて) | ********* | ********** | ******** |
F | 機械プレス(本紙1枚を平滑な板紙に挟んで) | ******** | ********* | ******* |
4.結論
裏打ちは、大きな損傷を受けたり、劣化が著しい資料の修復には欠かせない技術である。しかし単に資料を補強するだけでは済まない大きな変化を本紙に与えることを考慮しなければならないだろう。【写真5】の下段右の資料は、裏打ちをせず虫損や欠損のみを補紙で繕ったものである。この方法は独特の道具を使用して、道具を持ち替えることなく手早く虫損の補填が行える技術である。大量の書籍や文書を修理する機関で使用されている方法である。紙資料を保存・修復するための技術は数多くある。それらの技術は、対象資料の持つどのような情報に価値の比重を置くかにより、適正が変化する。修理の基本方針を決定する際には、対象資料の何を大切にすべきか?それを残す有効な方法は何か?を的確に判断しなければならないと考える。
※この内容は2009年の文化財保存修復学会第31回大会にてポスター発表したものです。