南葵音楽文庫は、公益財団法人読売日本交響楽団様が所蔵されている西洋音楽関係資料(イギリスの音楽研究家W.H.カミングス(1831-1915)の蔵書の一部、音楽書、作曲家自筆の楽譜、インキュナブラ等)のコレクションで、これらは紀州徳川家16代当主の徳川頼貞(1892-1954)が莫大な私財を投じて収集したものです。約2万点ある蔵書は、2016年から紀州徳川家発祥の地である和歌山県へ寄託され、全資料の保全・研究と同時に和歌山県立図書館および和歌山県立博物館において一般公開されています。
弊社では2015年よりこれらの貴重資料の修復作業を担当させていただいております。
事例1)
【タイトル】Missale Romanum(ローマ教会ミサ典書)
【刊行年】1651年
【刊行地】Antuerpianam(アントワープ)
【資料の状態】
総革装とじつけ製本。表装革はおもて表紙側のジョイント部分で完全に切断され、背革はうら表紙側のジョイント部分(一部)のみでつながっている状態となっている。革には全体的に硬化が見られ、それは背革において特に顕著となり、無数の亀裂や多くの欠損が生じている。支持体や綴じ糸は脆弱化し、綴じ全体にも緩みが見られるが、現時点で解体・綴じ直しが必要とされるほどではない。天地の花布は背から外れ、ほつれも見られる。表裏の見返しノド元には破損があり、見返し紙にも軽度の茶変色や汚損、欠損(革の酸による腐食)等も生じている。本文紙の状態は概ね良好だが、折れや染みのほか、革製ピップ周辺に虫損が見られる。
【処置方針】
硬化が著しい背革は、中身に貼り戻してしまうと開閉時の背の動きに対応できずに欠落・破損の可能性が高いため、現状のままとする。花布は再び貼り戻せる状態に修復した後に貼付する。前小口の留め具も革への保存手当てのみを行い、修復処置は行わずに現状のままとする。
【処置前の状態】
【主な処置内容】
①刷毛やワイピングクロス、スポンジでドライクリーニング
②革の保存手当て(再鞣し、HPC、保革油)
③ヒンジをおもて表紙側から外し、背固めを軽く除去
本文紙のドライクリーニング ヒンジを外す 背固め用背貼り
④背固め用背貼り
⑤取り外した花布の補強
→二重になっている花布の固定用布の間に綿布を挿入して補強し、ほつれた糸は綿布に染麻糸で固定した。
※固定用布は花布を編む時に一緒に芯に巻かれて編まれている。
⑥本文紙・見返し紙の欠損、虫損、破損の修復、折れ伸ばし
⑦ヒンジの貼り戻し
⑧花布の貼り戻し
⑨めくれた見返しの貼り戻し
⑩ジャケットの作成(AFプロテクトH)
花布のほつれた糸を固定 ヒンジの貼り戻し 花布の貼り戻し
【処置後の状態】
おもて表紙 うら表紙 革製ピップ周辺の虫損修復後 開いた状態 綴じの緩み(部分的な外れ)解消 うら見返し遊び紙の欠損修復後
事例2)
【タイトル】De tutte l’opere del R.M. Gioseffo Zarlino da Chioggia
【刊行年】1589年
【刊行地】Venetia
【資料の状態】
半革装とじつけ製本。表裏の表紙は分離し、表装紙(マーブル紙)には主に周縁部に欠損や摩耗、剥離等が生じている。平の革にもレッドロットや欠損が見られる。表紙ボードも角は大きく欠損している。背革はほぼ欠失している。綴じの支持体は欠失し、綴じ糸は切断しているためバラバラな状態。花布は天地ともに欠失している。表裏の見返しノド元は切断され、見返し紙は茶変色が著しく、その他にも軽度の欠損、破損、折れ等が見られる。また、おもて見返し遊び紙の裏側にはセロハンテープによる修復がなされている。本文紙には軽度の破損、欠損、虫損や折れの他に、ノド元には背固めの膠による染みが見られる。
【処置方針】
本文紙を適宜修復した上で、綴じ直しと欠失した背革を復元することで書籍としての本来の姿を回復させ、バラバラな状態によって懸念される資料の散逸を防ぐ。
【処置前の状態】
おもて表紙 うら表紙 前小口の文字 タイトルページ 支持体、綴じ糸の切断 折り畳み図版 ウォーターマーク① ウォーターマーク②
【主な処置内容】
①刷毛やワイピングクロスで表紙や小口等をドライクリーニング
②綴じを解体し、背固めを除去後に全ページをスポンジでドライクリーニング
③見返し遊び紙、タイトルページ、最終ページの水性洗浄(ブロッティング法)×6回
④本文紙の折れ伸ばし、欠損、虫損、破損修復および折丁背の補強
⑤見返し遊び紙の欠損を修復し、裏打ち補強
タイトルページの水性洗浄 洗浄後に出た汚れ 折丁背を補強後のプレス
⑥支持体を制作(仔牛革を厚口楮紙で裏打ち、8mm×5本)し、綴じ直し(二丁抜き綴じ)
⑦生麩糊による背固め後に丸み出しとバッキング
⑧接続補強用ヒンジを取り付け、表紙と中身の再接合
⑨背表紙芯紙(AFプロテクトH)の取り付け
⑩新規背革の染色、革漉き後に貼り込み
⑪保存容器を製作して収納
綴じ直し ヒンジの取り付け 新規背革の貼り込み
【処置後の状態】
おもて表紙 うら表紙 前小口の文字 タイトルページ 開いた状態 折り畳み図版
事例3)
【タイトル】教会音楽集(筆写楽譜)
【資料の状態】
総革装とじつけ製本。表裏の表紙は中身から分離し、背表紙は欠失している。表裏の表装革には欠損、浮き、剥離、摩耗、硬化等が見られる。綴じは支持体および綴じ糸が切断されてバラバラな状態となっている。花布はほとんどが失われ、ページ間に糸がわずかに残っている。おもて見返しは効き紙、遊び紙がともに剥離し、それぞれには茶変色や軽度の破損、欠損(効き紙は2/3が欠失)、折れが生じている。うら見返しはノド元が切断され、折れや軽度の欠損等が見られる。本文紙には茶変色の他、軽度の破損、染み(フォクシング)、折れが生じている。
おもて表紙 うら表紙 楽譜の1ページ目 バラバラな状態 本文紙の折れ、破損 うら見返し ウォーターマーク① ウォーターマーク② うら見返し遊び紙の紐の跡*
*うら見返し遊び紙に左右方向に紐の跡が残っている。紙漉き後の乾燥工程で紐(馬毛製)に掛けて乾燥させるが、シワが寄る(「back mark」という)ことはあっても、このような強い跡が残ることはないため何故このような痕跡が残ったかは不明。
【主な処置内容】
①刷毛やワイピングクロスで表紙や小口等をドライクリーニング
②綴じを解体し、背固めを除去
③全ページをスポンジでドライクリーニング
④本文紙の洗浄
⑤フィチン酸カルシウム溶液→脱酸性化処置(炭酸水素カルシウム水溶液) pH4.5→pH7.5
綴じの解体 洗浄 折丁背を補強
⑥見返し紙の欠損修復、本文紙の欠損・破損の修復
⑦折丁背の補強後に綴じ直し(二丁抜き綴じ、背バンド6ply×6本)
⑧生麩糊による背固め後に丸み出し・バッキング
⑨花布をページ間に残っていた糸を参考にして復元
⑩接続補強用ヒンジ(中厚楮紙)の取り付け、表紙と中身の再接続
⑪新規背革の染色・革漉き後に貼り込み
⑫保存容器を製作して収納
綴じ直し 花布の復元 新規背革の貼り込み
【処置後の状態】
おもて表紙 うら表紙 楽譜の1ページ目 開いた状態 本文紙の修復後 うら見返し
事例4)
【タイトル】Gless Catches etc. by various composers original autograph compositions(筆写楽譜)
【筆写年】1873年
【資料の状態】
半布装くるみ製本(平はマーブル紙)。表紙と中身は完全に分離し、おもて表紙ジョイントは切断、うら表紙ジョイントにも脆弱化や軽度の破損が生じている。マーブル紙には周縁部に摩耗や欠損が見られ、背表紙にも欠損や折れ、摩耗が見られる。綴じ(無線綴じ)は膠の劣化(枯れ)によりバラバラな状態。表裏の見返し紙には軽度の茶変色の他、おもて見返し遊び紙には軽度の破損や折れが見られる。本文紙にも軽度の茶変色や汚損、破損、欠損の他、折れや染みが生じている。
【処置前の状態】
おもて表紙 うら表紙 背表紙 背が開いている 本文紙の破損 本文紙の欠損 ウォーターマーク(紋章) ウォーターマーク(1802) ウォーターマーク(JOHN HALL)
【主な処置内容】
①刷毛やワイピングクロスでドライクリーニング
②綴じの解体、背固め除去と同時に全丁にノンブルを振る
③本文紙の洗浄
④本文紙の抗酸化処置(フィチン酸カルシウム溶液)+脱酸性化処置(炭酸水素カルシウム水溶液)
⑤本文紙の破損・欠損の修復、折丁の繋ぎ直し
⑥目引き後に綴じ直し(かがり綴じ、支持体2ply×3本)
⑦丸み出し・バッキング
本文紙の洗浄(サクションテーブル) 綴じ直し バッキング
⑧接続補強用ヒンジを取り付け、表紙と中身の再接続
⑨クータ、背表紙芯紙の取り付け
⑩新規背表紙の貼り込み
⑪元背の貼り戻し
表紙と中身の再接続 背表紙芯紙の取り付け 新規背表紙の貼り込み
【処置後の状態】
おもて表紙 うら表紙 背表紙 開いた状態 本文紙の破損修復後 本文紙の欠損修復後